『津久井城』ってどんなお城なの?その規模や構造について

 

神奈川県相模原市にある『津久井城(つくいじょう)』は、鎌倉時代に築かれたとされています。

 

戦国時代に入り、この地を北条氏が支配するようになると、このお城も北条氏の配下となりました。

 

このお城は標高375m、比高180mの山に築かれた山城(やまじろ)で、城の中心である本丸(ほんまる)と、それを守るための曲輪(くるわ)と呼ばれる防御拠点で構成されています。

 

本丸は山の頂上にあり、すぐ隣には本城曲輪(ほんじょうくるわ)と名付けられた曲輪と、周囲を見渡すための物見櫓(ものみやぐら)や、兵士が駐屯できる施設などが置かれ、さらに東側にも太鼓曲輪(たいこくるわ)、飯縄曲輪(いいづなくるわ)が置かれ、また、見晴らしの良い鷹射場(たかうちば)と呼ばれる場所から、周囲を監視していたようです。

 

本丸と各曲輪を繋ぐ尾根は掘り込まれ、堀切(ほりきり)と呼ばれる細い道になっており、曲輪だけではなく、こちらも敵の浸入を防ぐ防御施設になっています。

 

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

#津久井城 昨年のお城EXPOでもらったパンフレットを見ながら行ってみました。アクセスしやすく、遺構もわかりやすく、山城初心者な自分にとってはありがたいです。 新田金山城でガイドさんにいただいていたミッション「今も池がある山城を探す」も個人的にクリア。 1枚目〜4枚目、堀切。 5枚目、竪堀。 6枚目、太鼓曲輪。 7枚目、宝ヶ池!湧水有り! 8枚目、石垣発見。 9枚目、米曲輪から甲斐方向。 10枚目、鷹射場から江戸方向。 #石垣ファンクラブ

横矢掛係長さん(@gan_monhunt)がシェアした投稿 –

 

 

山の麓である城の南側は、城主の居住地となっており、城主は平時の際はこの場所で生活し、戦時には城のある山に入っていました。

 

このように山城の麓にある居住地を東国では、根小屋(ねごや)と呼び、この津久井城は根小屋式城郭(ねごやしきじょうかく)という型式の分類になり、関東における根小屋式城郭の代表的なお城として、よく名前が挙がります。

 

現在は、江戸時代に城主の家臣が建てたとされる石碑のある本丸と、その近くに建てられた土蔵跡、各曲輪、鷹射場、堀切の一部、城主や家臣たちの住居跡や城兵が刀を研いだとされる池などが残っています。

城として使われたのは戦国時代になってから?このお城の歴史について

 

このお城は鎌倉時代に、現在の神奈川県横須賀市津久井を拠点としていた、津久井(つくい)氏という一族の、津久井義胤(つくいよしたね)という人物が築いたと言われています。

 

津久井氏が築いたので津久井城、もしくは筑井城と呼ばれ、城の築かれた山は城山(しろやま)と呼ばれるようになりました。

 

室町時代に入ると城主は津久井氏ではなく、関東管領(「かんとうかんれい」関東の政務を統括する役職)の職であった扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏の家臣である長山氏や、足利将軍家の家臣であった、本間氏などが城主を務めていました。

 

築城時から室町時代までは、城というより居館としての役割の方が強かったのではないかとされています。

 

 

 

 

しかし戦国時代に入り、北条氏が相模国(「さがみのくに」今の神奈川県)を平定すると、城主は北条氏の家臣である内藤氏という一族が務めるようになりました。

 

この地は北条氏の本拠地である小田原と、武田氏の本拠地である甲斐国(「かいのくに」今の山梨県)を結ぶ要所であったため、常に武田からの侵攻の恐れがありました。

 

そのため、『津久井城』は武田の侵攻に備えるための最重要拠点とされ、防衛設備の整備や改修が行われて、城として使われるようになったとされています。

 

1569年に小田原から撤退する武田軍との間に起こった「三増峠の戦い(みますとうげのたたかい)」で撤退する武田軍を迎え撃つため、この城からも兵を出す予定でしたが、武田軍が城近くのトウモロシ畑に火をつけ、それを見た津久井城兵は武田の大軍が攻めてきたと勘違いし城を出ることができずに足止めされてしまい、武田軍の撤退を許してしまったとされています。

 

 

 

 

その後1590年の豊臣秀吉の小田原征伐では、この城も豊臣軍の攻撃対象となり豊臣軍約1万2千人に対し津久井城兵はわずか150人であったため戦わずに降伏し開城、北条氏滅亡後はこの城も廃城になりました。

 

現在では隣に津久井湖(つくいこ)ができ、また、城周辺と城山は『県立津久井湖城山公園』として整備され、登山やハイキングを楽しむ人たちが訪れるようになりました。

 

 

「津久井湖」と「県立津久井湖城山公園」について…

 

城山に隣接する津久井湖は、1965年に完成したダム湖で正式な名前を『城山ダム』と言います。

 

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

小学校の時の遠足で初めて訪れたダム。その時の衝撃以来わいをダムに夢中にさせたルーツ🤟 堤高には国道が通っていて車がバンバン走ってる🚗 ダムの上を走れる喜びをもっと噛み締めて欲しい😤 素朴な展望台があるだけのダムで観光客0人。いつ行っても観光客0人😂 #城山ダム #津久井湖

B2HHHさん(@b2hhh)がシェアした投稿 –

 

 

神奈川県と横浜市、川崎市、横須賀市の共同開発で、発電を主な目的として利用されています。

 

津久井湖周辺には宿泊施設や、バーベキュー場釣り船を貸してくれるところなどもあり、レジャーを楽しむこともできます。

 

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

#津久井湖城山公園 #城山ダム

伊織舞也さん(@lost.technology)がシェアした投稿 –

 

 

また、城山と津久井湖周辺にある『県立津久井湖城山公園』は、津久井城跡を利用した公園で「水の苑地」「花の苑地」「根小屋地区」の3カ所で構成されています。

 

水の苑地」は城山の北東側に位置し、水をテーマにし、広場や噴水、津久井湖記念館などがあり、津久井湖を一望することができます。

 

 

 

この投稿をInstagramで見る

 

津久井湖記念館 昭和40年3月に完成された城山ダム。 翌年記念館が建設されました。 http://www.samaria.com/tukuiko/ #津久井湖記念館 #津久井湖 #tukuiko #神奈川県 #相模原市 #sagamihara #ダム #城山ダム

ichiさん(@boost_star_ichi)がシェアした投稿 –

 

 

また、園内にはたくさんの桜の木が植えられており、県内でも有数のお花見スポットとして、春になるとお花見する人々で賑わいます。

 

 

花の苑地」は城山の北側の麓に位置し、ハーブ宿根草が植えられたガーデンテラスがあり、季節ごとに様々な花を楽しむことができます。

 

また、売店などもあり食事を楽しむこともできます。

 

 

根小屋地区」は城山の南側の麓にあり、「花の苑地」から伸びる「湖畔展望園路」という道を20分ほど進むと到着します。

 

この場所は里山や自然の森林の雰囲気を味わうことができ、パークセンターや研修棟などで様々な体験会が行われています。また、津久井城主の屋敷跡があります。

 

 

津久井城址を訪れた際は、城址だけではなく、津久井湖や公園も回ってみてはいかがでしょうか。

 

ちなみに、城山へは「花の苑」か「根小屋地区」から登ることができます。

 

山道はハイキングコースとして整備されて手すりなどが設置されていますが、途中に急な傾斜や細い道などの歩きにくい場所もあるため、くれぐれも無理をしないように登りましょう。

 

約30~60分ほどで本丸のある頂上に到着します。

『津久井城址』へのアクセス情報etc~まとめ~

 

 

《所在地》

神奈川県相模原市緑区根小屋

 

《交通機関でのアクセス》

・「水の苑地」・・・JR横浜線・京王線、京王線【橋本駅】から三ヶ木行きバス(1番乗り場)に乗り、【城山高校前】下車、徒歩3分

・「花の苑地」・・・JR横浜線・京王線、京王線【橋本駅】から三ヶ木行きバス(1番乗り場)に乗り、【津久井湖観光センター前】下車すぐ

・「根小屋地区」・・・JR横浜線・京王線、京王線【橋本駅】から三ヶ木行きバス(1番乗り場)に乗り、【津久井湖観光センター前】下車、「湖畔展望園路」を徒歩約20分

 

《車でのアクセス》

・横浜方面から国道16号、【橋本駅】南口の交差点を過ぎ、国道413号津久井方面へ約30分

・圏央道【相模原IC】相模湖方面へ、東金原交差点を右折後、国道413号方面へ約3分

 

《駐車場》

・「水の苑地」62台 「花の苑地」94台「根小屋地区」37台

※利用時間は朝8時~19時まで。

 

《時間》

・24時間開放しています。ですが夜は明かりが無く、大変危険ですので昼間に見学することをおすすめします。

※他の利用者の方のご迷惑になるような行為や、自然環境を壊すような行為はお止めください。