『二宮城』ってどんなお城なの?その規模や構造について…

 

東京都あきる野市にある『二宮城(にのみやじょう)』は、二宮神社(にのみやじんじゃ)の境内やその周囲にあったとされ、皇統が南朝と北朝に分かれて対立していた”南北朝時代”に築かれたと言われています。

 

この城は多摩川と秋川を眼下に望める秋留台地(あきるだいち)の高台にあります。

 

 

北東南の三面は険しい崖になっており、居住するための館の南側は空堀が掘られ、東西に約160m、南北に約220mの規模で、現在の二宮神社やその周辺にあったのではないかと推測されていました。

 

1972年に二宮神社境内の発掘調査が行われたのですが、『二宮城』に関する発見はありませんでした。

 

 

 

しかし1983年の発掘調査で、神社の東側段丘上の「御屋敷」と呼ばれる場所から、14世紀ごろのものとみられる豪族の居館跡が発見されました。

 

さらにその周囲からは土塁や空堀と見られる跡も発見され、かつてこの場所に『二宮城』があったという可能性が高まりました。

 

ですが、これらの遺構だけでは証拠としては不十分であるため、未だこの城の正確な場所や規模についてはよく分かっていません。

大石氏が移り住んだ最初の地…歴史について

 

南北朝時代の1356年、信濃国佐久郡大石郷(しなののくにさくぐんおおいしのごう「今の長野県」)を拠点にしていた、大石信重(おおいしのぶしげ)という人物は、北朝側の大将である足利尊氏から武蔵国(むさしのくに「今の東京都、埼玉県、神奈川県の一部」)の多摩郡13郷を与えられました。

 

これをきっかけに信重は武蔵国に移り住むことにし、その際、最初に居館を構えた場所が『二宮城』の始まりだとされています。

 

 

その後は大石氏の居城として使われていたのですが、戦国時代に入りこの城から南に2kmほど離れた八王子市に「滝山城(たきやまじょう)」が築城されると、大石氏は滝山城に移り『二宮城』は使われなくなり廃城になりました。

 

もしくは、敵対する扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏に攻められて落城し、廃城になったのではないかとも言われています。

 

ですが、歴史に関してもはっきりとした史料が発見されていないので、詳細は未だ不明となっています。

武蔵国ナンバー2の神社だった!?二宮神社について

 

古代の日本では、国司は任国内の全ての神社を一宮から順番に巡拝する決まりがありました。

 

この二宮神社は武蔵国で2番目に参詣することになっていた、重要な神社だったのではないかとされています。

 

 

この神社は日本神話で天地開闢の際に、最初に姿を現した神世七代(かみよのななよ)の一柱である、国之常立神(くにのとこたちのかみ)を祀っています。

 

創建時期は不明なのですが、平安時代中期の武将である藤原秀郷が、平将門討伐の戦勝祈願をするために訪れていたという話があったり、鎌倉時代初期には源頼朝とその妻である北条政子から厚く信仰されていたという話があったりなど、古い歴史と由緒があることがわかります。

 

本殿は江戸時代に造営され、本殿内には室町時代後期に造られたと思われる、宮殿が納められています。

 

 

この宮殿はあきる野市の歴史を知る上で重要な文化財であるとして、市の有形文化財に指定されています。

 

境内には本殿の他に「おしゃもじ様」と呼ばれる蛇の神様や、アラハバキ神という民間信仰されていた神様などを祀った社殿があったり、神社の向かい側には古代に雨乞いをした場所と言われる、池があったりします。

 

また、神社の近くには市内の遺構で発掘された約150点の考古遺物が展示されている、二宮考古館という施設もあるので、興味のある方はぜひこちらも見学していかれてはいかがでしょうか。

アクセス情報etc~まとめ~

 

 

《所在地》

二宮神社・・・東京都あきる野市二宮2252

二宮考古館・・・東京都あきる野市二宮1151

 

《交通機関でのアクセス》

JR五日市線【東秋留駅】から徒歩約5分

 

《車でのアクセス》

圏央道【あきる野IC】から約10分

 

《駐車場》

駐車場はありません。近くのコインパーキング等をご利用ください。

 

《時間》

二宮神社・・・拝観自由  月に1、2回、御朱印の授与日がありますが不定期なため、HPなどをチェックしてください。

 

二宮考古館・・・10:00~16:00まで 入場料は無料

火水祝日、年末年始は休館

 

 

※神社内では他の参拝者の方のご迷惑にならないようにしましょう。