安土城跡は、なぜ「城跡」と称されるようにたったのかを見てみよう

 

みなさんも一度は耳にしたことがあるであろう「城跡」。

 

「城跡」とは、書いて字の如く”城の跡地”のことです。城の跡地ということは、現在はお城が存在しません。

 

戦国時代に敗れて城を奪われ資材のために壊されたお城や、江戸時代の一国一城令により廃城となったお城や、第二次世界大戦により焼き払われて焼失したお城など、全国には数多くの城跡があります。

 

中でも、「安土城」は16世紀の天下人であった織田信長によって建てられました。しかし、重臣明智光秀の謀反(本能寺の変)により安土城が焼き払われ、現在は城跡として登録されています。

 

 

安土城跡を訪れる前に、織田信長についての基礎知識を押さえよう

 

まずは、織田信長です。

 

日本の小学校、中学校を卒業した人なら、織田信長の名前を聞いたことがない人は、きっといないでしょう。

 

信長は、尾張の那古野城に生まれ、幼いころは好奇心旺盛で、日常的に奇行に堪えない子どもであったため「尾張の大うつけ」と呼ばれていました。

 

そんな大うつけ者ですが、父信秀の後を継ぎ織田家の家督を継いだ後に、尾張の地方領主となります。

 

 

当主となった後は、まず隣国駿河国の戦国大名今川義元(計2.5万軍)に、たった3000軍で打ち勝ってしまいます。

 

この戦いで全国に名前を知らしめた信長は、全国統一へ歩むことになります。

 

天下人織田信長が、近江国に安土城を建てたのは一体なぜなのか

 

先ほども記した通り、信長は全国統一事業を始めるにあたり居城については、大変関心を持っておりました。

 

そのため、信長は生涯でたくさんの城に入城しております。

 

中でも有名な城は、那古野城岐阜城小牧山城清州城といったところでしょうか。

 

 

 

信長は、全国統一にあたり、少しでも政治の中心地「京都」に近い立地に城を設けようと思っておられました。

 

当時の政治の実権は、京都の室町幕府であり、権力を持っている天皇の御所も京都にあったためです。

 

そのため、信長はそれまで居城としていた岐阜城から、安土城へと移り住む決心をしました。

 

 

実際に「安土城」を訪れた感想を写真とともにご覧ください♪

 

 

 

安土城は、標高約200mの小高い山に天守閣があったため、天守閣にたどり着くまでに、たくさんの石段を登ることになります。

 

その数は、なんと410段!石段のも、現在の階段とは違い、段差がまちまちであるため、非常に上りづらいです。

 

 

 

しかし、このような登りづらさが敵陣から守る仕組みでありました。そのため、安土城では入城後に、無料で木の杖をお借りすることができます。

 

平城の天守閣とは違い、200mを登り切り、体力を消耗した後に訪れる天守閣なので、到達した際には小さな達成感を味わうことができます。

 

※天守閣跡地