もくじ
起源は最澄による「青連坊」、門跡としての「青連院」の始まり
青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられています。
青蓮院門跡は、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院とされています。
前から気になってた青連院門跡!
襖綺麗かよ……… pic.twitter.com/VqgWDacw2U— 砂 生 (@sunao_yuzushiro) 2018年7月7日
※ 天台宗の三門跡寺院…青蓮院、三千院、妙法院
※ 五箇室…青蓮院門跡、妙法院門跡、三千院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡
※ 門跡寺院…門主(住職)が皇室或いは摂関家によって受け継がれてきたお寺のこと。
日本天台宗の祖「最澄(伝教大師)」が比叡山延暦寺を開くときに、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であるといわれています。
平安時代末期に、青蓮坊の第十二代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が御帰依になって第七王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称したのが門跡寺院としての青蓮院の始まりです。
行玄が第一世の門主で、その後明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られていました。
粟田御所、仮御所としての「青蓮院」、幽邃雅趣深い「青連院庭園」
江戸時代の天明8年(1788年)に、大火によって御所が炎上した時に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難しました。
庭内の好文亭はその際には御学問所として御使用されたものです。
また、青蓮院は粟田御所と呼ばれており、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡にも指定されています。
青蓮院の主庭は、室町時代の相阿弥の作と伝えられ、粟田山を借景にしてその山裾を利用した幽邃(ゆうすい)な趣の池泉回遊式のお庭です。
龍心池の対岸南に高く石積みした滝口を中心として、東側にかけて柔らかな曲線をえがいた築山が設けられた、築山泉水庭でもあります。
また、華頂殿の東面には、江戸時代の小堀遠州作と伝えられる「霧島の庭」があります。
京都市東山区の青蓮院の霧島の庭。今朝がたの雨でたくさんのモミジが散っていそうです。http://t.co/uCKRePWlHJ #京都 #紅葉 pic.twitter.com/3zFIx89K3O
— Kyoto no T (@Kyoto_no_T) November 29, 2014
御本尊と共に、合掌して「ボロン、ボロン、ボロン…」と唱えます
青蓮院では平安後期開創の時から「熾盛光如来曼荼羅」(しじょうこうにょらいまんだら)を御本尊としておまつりしてきましたが、現在の御本尊はおよそ四百年前、桃山時代に豊臣秀吉によって復元再作成され奉納されたものです。
熾盛光如来を御本尊とするお寺は、日本中で当青蓮院門跡のみです。
この曼荼羅は約2メートル四方の掛け軸で、中心に熾盛光如来を表す種子(しゅじ、仏さまを表す梵字)「ボロン」が描かれた「種子曼荼羅」です。
『青蓮院門跡』。お庭は相阿弥作庭。築山がすてきです。小御所に狩野派の絵もありますが、この襖絵は木村英輝さん、私もかばん持ってました。ご本尊の【熾盛光如来曼荼羅】は仏像ではなく種子曼荼羅(秘仏、2005年にご開帳、残念!)です。 pic.twitter.com/hio1q2qqOQ
— ゆきえ@京都 (@yukie_sa) 2016年8月23日
青蓮院のご本尊は平安時代より秘仏としておまつりされており、そのお姿に直接お参りできる機会はありませんでしたが、平成17年(2005)秋に、創建以来初めての御開帳が3ヶ月間行われました。
現在は非公開となっており、そのお姿に直接お参りすることが出来ません。御本尊のお厨子の前には、お前立ち像が安置されております。
その奥におまつりされる御本尊と共に、合掌して「ボロン、ボロン、ボロン…」と唱えお参りします。
「青蓮院」への交通のご案内と拝観料など……
《所在地》
京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1
《交通のご案内》
・地下鉄東西線 「東山駅」下車 徒歩5分
・円山公園から徒歩10分 知恩院北隣
※門前の大楠が目印
・交通京都市営バス5・46・100系統 「神宮道」下車 徒歩3分
《拝観時間》
・9:00~17:00(16:30受付終了)
※春・秋に夜間ライトアップを開催。
青連院門跡のライトアップはiPhoneちゃん頑張ったよ pic.twitter.com/UV1wqfThCs
— トチゼロ㌠🗻 (@tcknzr) 2017年11月4日
《拝観料金》
・個人:大人500円 中高生400円 小学生200円
・団体(30名以上):大人450円 高校生350円 中学生300円 小学生200円
・寺院団体(10名以上)400円
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