弘前築城を開始した津軽為信。南部氏から独立を果たした為信の知略

 

戦国時代の青森県と岩手県は南部氏が支配する土地でした。

 

南部氏24代当主南部晴政の時代、「三日月の丸くなるまで南部領」と称されるほど北東北では絶大な力を誇ります。

 

津軽為信も南部氏配下の武将の一人でした。

 

 

1571年に南部一族で津軽平野を治めていた石川高信を打ち破ると、為信は次々と津軽平野の城を攻め落とします。

 

為信は豊臣秀吉に使者を送って、南部氏からの独立を認められました。南部氏を出し抜く形で独立したため、津軽氏と南部氏は犬猿の仲となります。

 

 

その後行われた秀吉による奥州征伐では、従わなかった在地勢力が次々と改易されたことを考えると、為信には先見の明があったといえますね。

 

為信は1603年、高岡(鷹岡)の地で新城建設を開始。為信の死後は2代目津軽信牧(のぶひら)が築城を引き継ぎ、1611年に完成させます。

 

初代の天守は落雷で炎上!200年後、海外情勢の緊迫化に乗じて天守再建

 

完成から16年後、高岡城の天守に悲劇が起こります。1627年に落雷によって天守が炎上してしまいました。

 

完成当初の天守は5層の見事なものだったそうですが、天守に収められていた火薬に引火し、大爆発してしまったそうです。

 

 

この火災で天守だけではなく、本丸御殿や櫓なども焼失してしまいました。天守の火災後、高岡は弘前と改められます。

 

天守焼失から200年近くたった1810年、外国船が日本周辺に現れ、国防が意識されるようになると津軽藩は「本丸にある櫓を移築したい」と幕府に申し出て認められます。

 

こうして作られたのが、今も残る天守閣です。

 

 

弘前城の天守閣は二つの顔を持ちます。一つは、堀に面した「正面」ともいえる部分。さくら祭りのポスターなどでよく使われる面ですね。

 

こちらは、飾り破風がついた華麗な趣です。

 

一方、本丸側から見た「内側」の面は破風もなく、すっきりとした面持ちです。弘前城を訪れた時は、二面を見比べることをお勧めします。

 

天守のほかにも見どころ満載。戦国時代の戦いの後を残す亀甲門など

 

弘前城魅力は天守だけではありません。

 

天守のほかにも辰巳櫓、丑寅櫓、未申櫓が現存し、追手門、東門、南門、亀甲門などが築城当時の姿をとどめています。

 

特に、亀甲門は近隣にあった大光寺城のものを移築しているため、矢傷などの戦いの痕跡を見て取ることができます。

 

 

また、弘前城の外周を囲む堀は桜の季節になると一面、桜の花びらによって覆いつくされます。

 

樹上の桜と、堀に浮かぶ桜の花びら。その奥に見える弘前城の櫓や天守。さくらの街、弘前ならではの絶景ですよ。

 

 

弘前城はどこにあるの?弘前城へのアクセス方法や施設情報~まとめ~

 

弘前城の住所は、〒036-8356 青森県弘前市下白銀町1です。弘前駅からメインストリートを30分ほど歩くと弘前城にたどり着きます。

 

市内を循環する100円バスを利用すれば15分程度でたどり着きます。

 

 

弘前城のある弘前公園への入場は無料ですが、本丸や北の郭、植物園に入場するには別途料金が必要です。

 

入場料金は大人310円、子供100円です。

 

詳しくは弘前公園のHPでチェックしてみてください。