どんなお城なの? 構造について解説

 

東京都八王子市の浄福寺(じょうふくじ)というお寺の裏山にある、『浄福寺城址(じょうふくじじょうあと)』は室町時代の前半ごろに、千手山(せんじゅやま)という山に築かれた山城(やまじろ)です。

 

このお城は関東山地から連なる標高356mの尾根を利用して築かれ、主郭を尾根の頂上部に置き、その四方にのびる尾根を掘切り、所々に防御拠点となる曲輪(くるわ)を設置した『連郭式(れんかくしき)』という構造をしていて、城の南側には北浅川(きたあさかわ)という川が流れています。城の高低差はなんと約160mもあります。

 

現在は、掘り、土塁、曲輪、主郭跡の遺構が残っています。

 

 

 

 

実際に主郭を目指して登ってみると、前半はあまり傾斜が無いのですが、道幅が人一人が通れるほどしかなく、後半になると道幅の狭さに加え、傾斜がきつくなってきます。

 

主郭へは約30~40分ほどで到着するのですが、もしも、この城を攻めるのであれば、敵の抵抗を受けつつ険しい山を登らなければならないため、攻め落とすのは非常に困難だと思われます。まさに天然の要害といった感じです。

 

※道幅の狭さと傾斜に加え、道に落ちている、落ち葉やドングリ、石ころなどに足を取られ、転倒の危険があります。足にあまり自信の無い方は危険ですので、くれぐれも無理の無いように登りましょう。

どんな歴史があるの? どんな役割があったの?

 

このお城に関しては、あまり歴史的な記録が残っていないので詳しいことは未だよく分かっていないのですが、幕末に書かれた『武蔵名勝図絵(むさしめいしょうずえ)』と『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』という地誌書に浄福寺城に関する記述があります。

 

それによると、このお城は1384年に入間や多摩地域で大きな勢力を持っていた豪族の、大石氏(おおいしし)という一族が築いた城と伝わっています。

 

 

 

 

応仁の乱により日本が戦国時代に突入すると、大石氏は関東に勢力を伸ばしてきた北条氏の配下となり、この城も北条氏の城になりました。

 

この城の近くには北条一族の北条氏照(ほうじょううじてる)が住む八王子城(はちおうじじょう)があったので、八王子城の出城として使われたのではないかと言われています。

 

 

 

 

1590年の豊臣秀吉による小田原征伐により、北条氏が滅亡するとこのお城も廃城になりました。

 

ちなみにこのお城は浄福寺城という名前以外にも、大石氏が新しく移った城だから新城(にいじょう)、案下(あんげ)という地域にあったから案下城(あんげじょう)、千手山にあったから千手山城(せんじゅやまじょう)などと呼ばれていました。

激動の戦国時代を生き抜いた!大石氏とは?

 

浄福寺城を築いた大石氏とは、清和源氏(せいわげんじ)の木曾義仲(きそよしなか)の流れ、もしくは藤原北家(ふじわらほっけ)の藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の流れを汲むとされる武家の一族で、信濃国(しなののくに 今の長野県と岐阜県の一部)佐久郡大石郷(さくぐんおおいしごう)に住んでいたことから、大石氏を名乗るようになりました。

 

 

室町時代初期に大石為重(おおいしためしげ)が初代関東管領の上杉憲顕(うえすぎのりあき)に仕えるようになると、メキメキと頭角を現し、上杉氏の有力な家臣となり武蔵国(むさしのくに 今の東京と埼玉県、神奈川県の一部)の守護代(しゅごだい)を任せられるほどになりました。

 

南北朝時代に入ると大石氏は北朝側に加わり大いに活躍。褒美により武蔵の入間郡と多摩郡を与えられ、この地に移ることになりました。その際に築かれたのが浄福寺城だと言われています。

 

 

 

 

戦国時代に入ると上杉氏は関東に侵攻してきた北条氏に敗北し、越後国(えちごのくに 今の新潟県)に入ることに。大石氏は上杉氏に仕える者と北条氏に仕える者とに分かれました。

 

上杉氏に残った者たちは江戸時代になっても生き残り、代々、米沢藩の要職を務めました。

 

北条氏に仕えた者たちも、北条氏が滅亡した後は徳川氏に仕え、旗本になったり、八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)と呼ばれる、多摩や八王子市の警備を行った組織に入ったりなどして生き残りました。

鎌倉時代から現代まで続く!浄福寺

 

ちなみに城のある浄福寺ですが、鎌倉時代の1260年ごろに廣恵上人(ひろえしょうにん)という人物が開山したとされ、正式名称を千手山 普門院 浄福寺と言います。

 

宗派は真言宗 智山派、本尊は大日如来。多摩八十八カ所霊場の六十六番目になっています。

 

お寺の敷地内には、江戸時代に建てられた本堂や鐘楼、真言宗の経典を奉納した宝塔である、宝篋印塔(ほうきょういんとう)などがあります。

 

本堂内には千手観音立像、東京都の指定有形文化財になっている厨子、江戸幕府から貰った箪笥や駕籠、狩野派の絵師が書いた壁画など歴史的に貴重な品々があります。

※これらはお寺の行事の際などに公開されます。

 

さらに敷地内には樹齢数百年の枝垂桜に梅、33種の椿の木が植えられており、冬から春にかけて綺麗な花を楽しむことができます。

 

城址見学と一緒にお寺も見学していかれてはいかがでしょうか!

アクセス情報など~まとめ~

 

 

 

《所在地》

東京都八王子市下恩方町3259

 

 

《交通機関でのアクセス》

・JR中央線【八王子駅】北口9番のりば「大久保」行き約40分【大久保】下車 徒歩約1分

・JR中央線/京王高尾線【高尾駅】北口1番のりば「陣場高原下」行き約15分【大久保】下車 徒歩約1分

・京王線【京王八王子駅】2番のりば「大久保」行き約40分【大久保】下車 徒歩約1分

 

 

《車でのアクセス》

・圏央道【八王子西IC】 高尾・町田方面へ右折し、川原宿を右折(陣場高原方面) 約5分

 

 

《駐車場》

ありません。交通機関を利用してください。

 

 

《時間》

24時間空いてます。ですが、外灯などの明かりがないため、夜は大変危険です。

 

 

城跡の入り口はお寺の敷地内の墓地にあるので、お寺の関係者の方やお墓参りに来た方々の迷惑にならないようにしましょう。