「下克上」で戦国時代に一時代を築いた尼子氏の居城「月山富田城」

 

月山富田城(がっさんとだじょう)』は島根県安来市にある中世山城であり、戦国大名として活躍した尼子氏の居城として知られています。

 

 

 

 

当時、出雲国を代わりに納めるように派遣されていた尼子氏は主人のいう事を聞かなくなってしまったために、出雲国守護代という職を奪われてしまいました。

 

この時に当主だった尼子経久は、出雲国内で自分の味方になってくれる人物を集めて、正月行事のどさくさに紛れて、少人数で奇襲をかけて月山富田城を奪い取る事に成功し、戦国大名尼子氏が誕生しました。

 

尼子経久はこの月山富田城を拠点とし、山陰地方をはじめ中国地方各地に兵力を進めて、やがては「11ヶ国の太守」と呼ばれるように多くの国々に影響力を持つようになります。

直接的な攻撃では落城する事が無かった理想的な天然の要塞

 

戦国時代に尼子氏が居城とする中で、月山富田城は大内氏や毛利氏によって2回攻められました。

 

 

 

 

1回目は天文12年(1543)に大内氏・毛利氏連合軍に攻撃されますが、尼子氏はこれらの攻撃を見事撃退しました。(第一次月山富田城の戦い

 

2回目は永禄8年(1565)に尼子氏の勢力が弱体化した頃です。毛利氏によって城を囲まれて三方から攻撃されましたが天然の要塞地形と兵士の奮闘によって毛利氏の攻撃を撃退しました。攻撃では歯が立たないという事が分かると毛利氏は兵糧攻めに切り替えました。実に1年4ヶ月の期間がかかりましたが尼子氏も兵糧が尽きてついに降伏する事になりました。(第二次月山富田城の戦い

 

その後、毛利氏の家臣が入城すると尼子氏の残党が城を奪い返そうと大勢の兵士で攻めましたが天然の要塞に阻まれて奪い返す事はできませんでした。

 

これらの3つの戦いから月山富田城は直接的な攻撃に対してめっぽう強い城でした。

 

「月山富田城」の城下町は移動した?川底から見つかった遺跡

 

月山富田城の横を流れる飯梨川(いいなしがわ)の中には冨田河床遺跡と呼ばれる遺跡があります。これは月山富田城の古い城下町の遺跡です。

 

どうして川の中に遺跡があるのかというと、江戸時代の初期頃に大洪水が起こり川の流れが変わってしまったために城下町が川の中になってしまったためです。

 

ですので、発掘調査の際には川底の中から戦国時代や江戸時代の初期頃に使用されたと思われる道具が多数見つかりました。

 

ウォーキングにも最適。再整備されて注目される「月山富田城」

 

月山富田城は江戸時代の初期には廃城となっていましたが、昔から名城として知られていたので、昭和9年には国の史跡に指定されて公園が作られました。

 

現在でも整備が進み、近年では本丸に向かう登山道もきれいに整備されたので、気軽にウォーキングが楽しめるようになりました。

 

この登山道では他に何もさえぎる事のない美しい風景も見る事ができます。

 

 

 

 

城の中の各所に配置されたコースの途中には尼子氏の居館跡とされる「太鼓段」の美しい石垣や、忠臣として知られる山中鹿之助の銅像など見どころがたくさんあります。

 

 

 

 

ウォーキングの最後には城下にある「広瀬絣センター」で軽食ができますので、戦国時代の歴史を感じた余韻を楽しみながら地場産品に触れる事ができます。

「月山富田城」へのアクセス・駐車場など~まとめ~

 

 

《所在地》

〒692-0403 島根県安来市広瀬町富田2188

 

 

《アクセス》

・JR山陰本線「安来駅」下車、コミュニティバス「イエローバス」に乗車

・広瀬町行きバス25分「市立病院前」降車、徒歩10分で登山口。山頂まで25分

・中国横断自動車道「米子IC」から車で40分。松江市からは南東に車で20分。道の駅「広瀬富田城」を目指す。

 

 

《駐車場》

約50台の無料駐車場有。