南北朝時代、南朝方の武将として北畠顕家とともに戦った南部師行

 

八戸市にある『根城』を築いた南部師行(なんぶ もろゆき)は、今から650年近く前の南北朝時代に南朝方として活躍した人物です。

 

もともとは、現在の山梨県にあたる甲斐国に領地を持っていた武士でした。

 

鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇のもと、武者所の武士として建武の新政に参加します。

 

後醍醐天皇の命令で、北畠顕家(きたばたけ あきいえ)が東北地方に赴くと、南部師行も顕家にしたがって東北へと向かいました。

 

このとき、師行は大光寺合戦で旧鎌倉幕府派の残党を打ち破り、津軽地方に勢力を拡大します。

 

 

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後醍醐天皇と有力武士の足利尊氏の関係が悪化したとき、後醍醐天皇は北畠顕家を京都に呼び戻しました。

 

このとき、南部師行は東北に残って守りを固めます。顕家が一時、東北へと戻り再び尊氏と戦うために上京するときは南部師行も顕家に従います。

 

石津の戦いで顕家、師行らは足利軍の高師直(こうの もろなお)に破れ討ち取られてしまいました。その後も、南部氏は南朝方として戦い続けます。

 

南部師行が陸奥北部における南朝方の拠点として作り上げた根城

 

八戸市中心部を流れる馬淵川。馬淵川がつくった河岸段丘上に築かれたのが『根城』です。

 

 

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後醍醐天皇から陸奥国司に任命された北畠顕家にしたがって下向した南部師行は現在の八戸市周辺や下北半島、岩手県北部にあたる糠部郡八森に城を築きました。

 

根城』の名は、この地が南朝方の根城となるようにという願いをこめて南部師行が命名したといわれます。

 

根城』は、本丸をはじめ8つの郭で構成された平山城でした。八戸南部氏の拠点として長く使われます。

 

八戸南部氏が弱体化したあと、三戸南部氏が台頭。江戸時代には盛岡藩となりました。盛岡藩は八戸氏を『根城』から遠野に移します。

 

これにより、根城は廃城となってしまいました。『根城』は昭和53年から11年に及ぶ発掘調査の後、「史跡 根城の広場」として公園化されます。

 

また、『根城』の本丸には安土桃山時代の『根城』の建物が復元されました。当主が儀式を執り行った主殿や工房、納屋、馬屋などが再現され、当時の姿をしのばせてくれますよ。

南部氏ゆかりの神社『櫛引八幡宮』について

 

八戸市内にある南部氏ゆかりの神社が「櫛引八幡宮」です。鎌倉幕府軍が奥州藤原氏を滅ぼした戦いで戦功をあげた南部光行は源頼朝より糠部郡などを与えられました。

 

 

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そのとき、光行は故郷の甲斐国から八幡宮を遷したのが櫛引八幡宮の始まりだとされます。国の重要文化財に指定されている本殿は江戸時代前期の建築様式。

 

境内にある国宝館には、国宝に指定された二つの鎧などが収められています。一つは赤糸威鎧。鎌倉時代の作で、別名「菊一文字」の鎧です。精巧な装飾が施された華麗な鎧です。

 

もう一つは白糸威褄取鎧。こちらは南北朝時代のものです。派手さはありませんが、品の良い鎧ですよ。『根城』を訪れた際は、櫛引八幡宮まで足を伸ばしてはいかがでしょうか。

根城はどこにあるの?根城へのアクセス方法や施設情報~まとめ~

 

 

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《住所》

・青森県八戸市根城字根城47

 

 

《アクセス》

・八戸駅からバスで約15分。「博物館前」バス停で下車・

・バス停から徒歩5分

 

 

《開館時間》

・9:00~17:00

 

 

《休館日》

・月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月27日~1月4日)

 

 

《料金》

・根城跡への入場は無料

・本丸のみ有料。大人250円 大学生・高校生150円 小・中学生50円